三賢社

泉麻人1964 泉麻人の思い出写真」の部屋

『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』に登場する、
懐かしのグッズを掲載していきます。(随時更新・オマケ画像付き)

P11 第14回 NHK紅白歌合戦

この時代の紅白(第14回)は夜9時のニュースの後の9時5分スタートで、終了は11時45分。つまり、いまの“第2部”の枠にあたる。63年の紅白は、視聴率81・4%の記録が残る歴代最高視聴率の回とされている。

P15「マイ・フェア・レディ」のパンフレット

江利チエミが歌った「踊り明かそう」と立川澄人「運がよけりゃ」は63年に大ヒットしていたミュージカル「マイ・フェア・レディ」からのナンバーだ。江利がヒロインのイライザ、相手役のヒギンズ先生を高島忠夫が演じた日本版マイ・フェア・レディが上演されていたのは紅白の舞台、東京宝塚劇場。

P29 小1時代の作文帳

小1時代の作文帳。バスで行った――とすれば、わが家の近くを走っていた「伊勢丹」行の関東バスに乗って、伊勢丹の向こうの追分だんごの並びにあった新宿東映あたりだと思われる。

P59 吉永小百合と橋幸夫のデュエット

62年に大ヒットした「いつでも夢を」、63年の「若い東京の屋根の下」、そして64年4月発売の「そこは青い空だった」は、橋がパイロット、吉永がスチュワーデス姿で歌う“コスプレ歌謡”だった。

P62 東京の歌 new 20.2.19

東京オリンピックの前夜、さらに後夜には「東京」と銘打った歌謡曲が続々と世に放たれた。「東京の灯よいつまでも」(新川二郎)、「ウナ・セラ・ディ東京」(ザ・ピーナッツ)、「サヨナラ東京」(坂本九)……新しい東京の街を舞台にしたラブソングが時流だった。

P70 舟木一夫ヒット曲集

このソノシートに収録された「あゝ青春の胸の血は」「君たちがいて僕がいた」「おみこし野郎」「花咲く乙女たち」といったナンバーは、デビュー2年目の64年の曲で、僕が最もハマッていた時期のもの。

P74 薬屋さんでもらったミニノート

薬屋さんでもらったノベルティーのミニノート。オロナイン(大正製薬)提供の時代劇「噂の錦四郎」(松本錦四郎・主演)の写真を表紙にしたもので、このノートに当時僕が記した“架空の歌番組の出演者”が載っている。

P76 「四天王」の一角、三田明

御三家の言い出しっぺは「歌のアルバム」の司会者・玉置宏とされるが、彼は「御三家」よりも、3人(橋・舟木・西郷)に三田を加えた「四天王」のフレーズを多用していた印象がある。

P77 「御三家」、西郷輝彦

西郷の露出が目につくようになったのは、64年夏に大ヒットした「十七才のこの胸に」あたりからではないだろうか。新進のレコード会社・クラウンレコードの鳴り物入りの新人で、夕刻にやっていた「クラウン 輝く星座」という番組によく出ていたのを思い出す。

P78 御三家のフォロワーたち

左から、コロムビアで舟木の弟分的ポジションとしてデビューした安達明、早々に歌手をやめて宝石デザイナーになって成功したことでも知られる梶光夫、ビクター吉田正門下で“梶の対抗商品”と見てもよい久保浩、名前からして少年マンガの主人公っぽく子供にもわかりやすかった叶修二、三田明のBプロ的によく似た顔だちをしていた川路英夫。

P82 橋幸夫のリズム歌謡

青春歌謡にエレキサウンドを持ち込んだのは、重鎮・橋幸夫。吉田正が開発した“リズム歌謡”と呼ばれる楽曲を橋が歌い始めたのは64年、この夏の「恋をするなら」が発端だろう。

P88 仁丹の野球ガムのカード

仁丹の野球ガムには板ガムと同サイズの名車や野球選手のカードが1枚含まれていた。野球の選手カードの方のお目当ては、王や長島など巨人のスター選手だったが、そういう人気者のカードはなかなか出ない。妙に多いのが国鉄の選手で、とくに根来は3枚も残っていた。

P94 ミラクルAのソノシート

貝塚ひろしの「ミラクルA」は、ペナントレースをなぞりながら、長島や王ら実在の選手が“キャラ立ち”して登場するのが楽しかった。王が生声でちょこっと出演している朝日ソノラマのソノシート。

P94 ミスタージャイアンツのソノシート

オリンピックの翌年に始まったマンガ「ミスタージャイアンツ」に登場する、眉毛が特徴的なミスタージャイアンツは“ジャビット”が登場するまで長らく巨人のマスコットとして親しまれた。当時全盛の朝日ソノラマのソノシートにもなって、王、長島、金田が生声出演しているのが豪華だった。

P100 ファン手帳

原稿を書きながら、長島の打率であるとか、選手の名前の確認とかに重宝したのが「ファン手帳」という小冊子。セパ両リーグの各球団の選手名鑑と前年の成績表が各種掲載されている。やや大型のカラー表紙になった1970年と71年の手帳も保存している。

P111「相撲」64年4月号

北の富士、清国、若見山が上位に昇進した3月場所の頃に出た専門誌「相撲」4月号。“現代っ子”なんていうハヤリのフレーズを使って、北関をはじめとする3人を新世代の力士登場、といったスタンスで紹介している。

P117 相撲手帳

表紙は、大鵬と思しき力士が優勝カップを抱えた絵柄。巻末に4ページを使って、記憶に残る技(相撲48手)の図解がレイアウトされていた。各々20字ほどの解説文がついているが、型を描いた絵がなかなか巧い。

○ オマケ

森永トップスターガムの景品、カラースタンド。左は大鵬、右は佐田の山。

P117 野球手帳

表紙は日本チームのユニホームを着た南海の杉浦投手――。巻末に昭和36年(1961年)夏頃までの各種記録が載っているから、61年末から62年頃にかけて作られたものだろう。

P120 ファインの学習帳 よい子のノート

小学校の学年を書き入れる空欄に“だい二がくねん三くみ”と記されているから、64年のオリンピックの年に使っていたものだろう。尤もコレ、学校の勉強で使用していたものではない。ページを開くと大流行していたシールが貼り付けられている。

○ 鉄腕アトムのシール

明治のマーブルチョコレートについていたものもあれば、64年の年頭から月刊発売が始まった、光文社カッパ・コミクスの「鉄腕アトム」の付録シールもある。

○ 鉄人28号のシール

プリント式のシール(薄いビニール紙の裏側に印刷されたキャラクターのカットを上から擦って貼り付ける)ゆえ、貼付に失敗して所々剥げたものが目につく。

○ エイトマンのシール

丸美屋のふりかけのオマケとして入っていたもので、エイトマンのシールがふりかけにまみれて現われる絵は、チョコやガムとはまた違う奇妙な趣があった。

○ 狼少年ケンのシールほか

「狼少年ケン」のテレビ版は森永製菓がスポンサーだったので、即席の粉末ココア(缶)に、ケンと仲間の動物キャラクターたちのシールが入っていた。

P125 オリンピックワッペンの広告

64年3月の朝日新聞に掲載された広告。子供が服の胸や腕にワッペンをベタベタ貼り付けている写真だが、実際集めたワッペンをこうやって身につけた記憶はあまりない。

P127 小2時代の作文帳

小2時代の作文帳も残っていて、ここに「きっ手」と題された話が書かれている。デスマスでずっときて、最後急に「はるんだ」と喋り言葉になっているあたりが、感情のおさえられない小学2年生らしい。

P129 オリンピック切手、ケネディ切手、宇宙切手

東京オリンピック関係の切手は開催3年前の61年秋から、各競技の絵柄を入れた5円+5円の募金付きの切手が順次、発行されていた。63年11月に暗殺されたケネディ大統領の切手は、アポロやソユーズで盛りあがる米ソの宇宙切手などとともに、外国切手の看板商品だった。

P130 少年サンデー 64年11月8日号

「少年サンデー」(64年11月8日号)をめくっていくと、<切手NO1大懸賞>やら<最新切手ニュース>やら、切手関連のページが目につく。

P131 切手のストックブック

<切手NO1懸賞>の特等と1等には“豪華布ばりストック・ブック”も付いていたようだが、アルバム(切手をノリやテープで貼り付ける)から、パラフィン紙の欄に切手をハサんで収納するストックブックへと、収集用グッズは変わりつつあった。

P136 風のフジ丸 new 20.2.19

「少年忍者 風のフジ丸」がテレビ(NET)でスタートしたのは64年の6月。♬時は戦国、あらしの時代〜〜岩山に雷がおちる不穏な戦地の画像にのせて鹿内タカシ太い声で歌うテーマ曲が印象深い。

P153 スーパーボール

アメリカ生まれのゴムボール、当時のイラスト入りの商品ラベルを保存している。新合成物質ゼクトロン製――と材質が記されていて、さすがに<NASA開発>とまでは銘打たれていないけれど、あの時代のアメリカ宇宙事業の副産物グッズ、というイメージが浮かぶ。

P157 わたしたちの東京

小学校の社会科の副教科書。4年生のときに使ったものだから、66年の版になるが、文章の大方は、その2、3年前のオリンピックの頃に書かれたものと思われる。

P179 ビートルズ new 20.2.19

日本盤レコードでは、64年2月に「抱きしめたい」と「プリーズ・プリーズ・ミー」のシングル盤が東芝からたて続けに発売され、4月に「シー・ラヴズ・ユー」「フロム・ミー・トゥー・ユー」「ツイスト・アンド・シャウト」などが続き、ベストアルバムも発売されているから、64年の訪れとともにブレイクしたことがわかる。

P186 乗物画集

〈講談社の絵本 乗物画集〉シリーズ。初作の『乗物画集』(60年3月刊)と『乗物画集(4)』(61年6月刊)には、どちらも国鉄の最上級の特急電車として58年にデビューした「こだま」(151系)が描かれている。

P188 にかいてつどう

「こばと」61年9月号に<にかいてつどう>という妙な呼び名を使って、新東海道線が描かれている。“二階建て車両”の列車を想像していたら、この“にかい”は貨物線の上の2階、つまり高架線を走る列車を意味していたのだ。

P190 小学1年生 64年1月号

富士山を背景にビューンと走る新幹線に男女の子供が手を振っている。野良道の向こうに日の丸の旗を掲揚した茅葺き屋根の家が垣間見える。

P191 ちょうとっきゅう

小2当時の作文帳。タイトルには「ちょうとっきゅう」と付いているが、本文で「光ごう」を連発しているところを見ると、この新しい号名で呼ぶのが定着していたのかもしれない。

P193 大丸の広告

東海道新幹線が開通した10月1日、この日の朝日新聞朝刊に掲載された「大丸」(東京駅八重洲口)の広告コピーにはおもわず口もとが緩んだ。

P194 ピースの記念タバコ

丸っこい0系の車両はキャラクター化しやすかったのだろう、様々なグッズが巷に出回った。僕の手元にもピースの記念タバコ(空箱)が保存されている。

P204 この日のために new 20.2.19

♬この日のために〜〜きたえたからだ〜〜 三浦洸一(“歌のおばさん”で知られる安西愛子も共演)が張りきった声で歌うこの曲は、「東京五輪音頭」よりも先行して、オリンピックの応援歌のような感じで巷に流れていた。

P210 おちいち

もの持ちのいいわが家には「おちいち」(新宿区立落合第一小学校の略)と題された小学校の年報冊子が2冊保存されていた。65年3月に発行された第2号に前年64年の行事が羅列されている。

○ オマケ

1964年の東京オリンピック開催期間中、校門に掲げられていた旗。卒業記念に先生にお願いして入手。

P213 64年10月15日 東京12チャンネル

オリンピック中継に力を入れていた、開局まもない東京12チャンネルがテレビ欄に出した10月15日の国立競技場の中継プログラム。

P220 第15回NHK紅白歌合戦

64年の紅白。司会は前年の評判が良かったのか、紅・江利チエミ、白・宮田輝は変わらない。三田明、西郷輝彦、青山和子といったあたりが初出場で、青山は当然「愛と死をみつめて」を歌っている。トリも前年と同じく白が三波春夫、紅が美空ひばり。

レコードジャケット提供・鈴木啓之

1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。泉麻人