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中村伸の寄席通信 | 三賢社のweb連載

第14回
それでも寄席は走りつづける

予想通り、あるいは思っていた以上にコロナ禍の影響が長引き、上野鈴本演芸場は長期休席のまま(3月21日に始まる落語協会の新真打披露興行から再開予定)、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場の各席も終演時間をふだんより1時間早めて20時とするなど、あいかわらずの非常事態が続いています。

わずかな救いは、2月中旬にスタートした桂宮治師匠の新真打披露興行の賑わい。出囃子「阿波踊り」に乗って高座に現れただけで、場の空気をがらりと変えることができる爆笑派の逸材で、落語芸術協会の落語家としては春風亭昇太師匠以来の大抜擢。ゲストを招いての連日の興行は、客席数を半分に絞っているとはいえ大入りで、仲間や先輩方の引きたてもあってお祭りのような明るさに包まれています。3月10日までは池袋演芸場、11日からは国立演芸場でも公演あり。国立演芸場での公演はオンラインで前売りをしており、完売寸前ですが、まだチケットは買えるようです。

そうした例外的な興行や、話題の師匠を芯に据えた夜の部はともかく、昼の部のお客さんの動きはまだまだ鈍い。それでも、わずかではありますが、少しずつ観客が戻ってきているような気配もあります。わざわざ来てくれたお客さんにいいものを持ち帰ってもらおうと演者にも気迫があり、今しかできないことをやろうという意気込みが見えます。

2月下席(21~28日)の池袋演芸場の昼の部(トリは金原亭馬玉師匠)と、3月上席(1~11日)の新宿末廣亭の昼の部(トリは瀧川鯉昇師匠)を見に行ったのですが、ともに平日ながらほどほどの入り。どちらの「芝居」も、トリの師匠と、色物の先生をはさんでトリのひとつ前の出番(ヒザ前)つとめる師匠との関係が絶妙で、寄席らしい味わいに満ちていました。

池袋でトリをつとめた馬玉師は、若手ながら本寸法の落語を聞かせる人で、この日は大ネタの「子別れ」を40分かけて口演。酒と女で身を持ち崩した大工の熊五郎が、心を入れ替えて仕事に精を出し、再び女房と子を迎え入れて世帯を築くという、まともにやれば途中休憩を入れて2時間近くかかろうというネタ。寄席では無理な長さなので、女房と子に巡り合い、ともに暮らそうと誓う後半だけが「子は鎹」(鎹=かすがい=は材木と材木とを繫ぎとめるコの字型の釘のこと)として演じられるのがふつうです。それを、酒の勢いで吉原遊郭にくりこみ、女郎を身請けして家に連れ帰る前半から演じ、途中を無理なく巧みに短縮しながら見事な一席に仕上げていました。

ヒザ前をつとめたのは馬玉師の師匠でもある金原亭馬生師。ふわりとした口調で語りはじめたのは「ふたなり」でした。見栄っ張りの親方が、深夜の森の中で首を吊って死のうとしていた娘に出会い、やり方を教えるうちにうっかり自分が首を吊って死んでしまう。翌朝、死骸の懐から出てきた手紙を見つけた人びとが「ある人と深い仲になり、ついに因果のタネを残し……」と書かれた文面(じつは娘が両親に宛てた書置き)を見て、親方の真意を測りかねるところが笑いに結びつきます。ちなみに「ふたなり」とは両性具有のこと。東京ではあまり聞いたことがない珍しいネタですが、それを弟子の出番の前にサラリと演じたところが美しい。この日、ほかにもいい高座がいくつもあり、なかなか見応えのある「芝居」でした。

新宿でヒザ前をつとめたのは、飄々としたベテランの桂南なん師匠です。ネタは昭和の爆笑王・柳家金語楼師が創作した「身投げや」。夜中に大川の橋の上に立って身投げのフリをし、助けてくれた人から金をせびるという悪どい金儲けを始めた男が、親子ぐるみの筋金入りの身投げやにすっかり騙されて一文無しになるというシニカルな演目。馬生師の「ふたなり」と同様、クスリと可笑しい世界が描かれ、どこか人情噺「文七元結」のパロディーのような気がしてきます。それを受けてトリの鯉昇師は、仙台の潰れかけた旅館を、たまたま泊った名人・左甚五郎の木彫りのねずみが救うという「ねずみ」を口演。人情味のある春らしい旅ネタを、たっぷり聞かせてくれました。

前半には、テレビやラジオでは絶対に流せない瀧川鯉枝師「実践的自動車教習所」、奇術の小泉ポロン先生による買っては見たけど舞台には使えない「積みマジ」(買ったけど読まずに置いたままになっている本を指す「積ん読」のマジック版)特集など、バカバカしい出し物がいくつもあり、こちらも幸せな「芝居」でした。

思えば、もうすぐ10年目の「3.11」の日が巡ってきます。あの時期よりはいいけれど、寄席や演者にとって辛い時期であるのは同じ。先が見えにくい不安は、客席も同じかもしれません。

一方で、館内に入ってしまえば対策もしっかりされており、風通しが良すぎて肌寒さを感じることはありますが、感染の不安を感じることはまずありません。そんな場で笑ったり感心したりしながら没頭する、いわばシェルター(避難場所)のような雰囲気が今の寄席にはあります。空いている時間帯の電車で出かけ、昼の部を見て、夕方のラッシュ前の電車で帰宅するという動き方ならばリスクはかなり少ない。気が向いたらお1人で、あるいは気の合う仲間とちょっと寄席に出かけてみてはいかがでしょう。

春の夜や寄席の崩れの人通り

夏目漱石と連れ立って寄席に出かけることが多かった正岡子規の句で、トリまで聞いて外に出たときの艶やかな風情を詠んだもの。そんな気分を味わってはいかが。

それでも寄席は走りつづける | 中村伸の寄席通信

新宿末廣亭の昼の様子

中村伸の寄席通信 | 中村伸 なかむら・のびる

中村伸なかむら・のびる

1961年東京生まれ。出版社勤務からフリーランスに。編集者、伝記作家。著書に『寄席の底ぢから』(三賢社)。落語は好きで、DVDブック『立川談志全集 よみがえる若き日の名人芸』(NHK出版)や、『談四楼がやってきた!』(音楽出版社)の製作に携わる。ほかに水木しげる著『ゲゲゲの人生 わが道を行く』、ポスターハリスカンパニーの笹目浩之著『ポスターを貼って生きてきた』、金田一秀穂監修『日本のもと 日本語』などを構成・編集。