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中村伸の寄席通信 | 三賢社のweb連載

第17回
それでも寄席は愛されているらしい

先日、某博物館の学芸員をしている方から「落語『死神』ってどんな物語でしたっけ?」の問い合わせがありました。ふだんは寄席や落語会に行くタイプではないのですが、米津玄師さんのYoutube映像を見て気になったらしい。小さなお嬢さんがいるので、彼女と一緒に茶の間で見聞きして楽しむつもりかもしれないと思い、現役の演者によるわりと品の良さそうな『死神』の音源や映像を伝えておきました。

主人公の男は金に困ってやさぐれているし、相手は怖ろしい死神ですから、夏の定番のネタとはいえ、落語としては陰気な部類の噺です。米津さんはたった2分弱の短い尺の中で、その風情をよく表しています。収録に使われたのは新宿末廣亭の高座と客席ですが、桟敷席などにいくらか照明を仕込んだだけで、現実のものとは思えない異空間が現れたことにも驚きました。新宿に実際にある寄席だということに気付いていない人も、世の中にはいるのかもしれませんね。

6月も押し詰まった頃、その新宿の昼席を見に行きました。主任は小さん一門の高弟である柳家小里ん師。前半は志ん生の系譜を継ぐ古今亭一門が中心となり、後半を柳家一門が占めるという、まさに江戸の風が吹きまくるような流れ。そのぶん客席の入りはどうかなと思ったら、意外なほどに客席が埋まっていてびっくり。途中「いくら待っても米津玄師は出ませんよ」というクスグリに小さなどよめきが起きたので、ひょっとしたらYoutubeを見て寄席に来た人もある程度いらしたのかもしれません。

乾物屋でキャベツがほしいと言い張る春風亭一之輔師「寄合酒」、「知らぬが花、見ぬもの清し」つまり「わかりゃしネェよ」で引っ越し祝いに中古の肥壺を持って行くようないい加減な男たちしか出てこないむかし家今松師「家見舞」、十袋のみかんに人生を覗き見てしまう柳家さん喬師「千両みかん」、子ども好きの人のいい男が酔って逆切れする柳亭市馬師「穴泥」ときて、主任の小里ん師は炎暑の隅田川を舞台にした「船徳」。初めて寄席に来た方も、これならば楽しめたのでは。

末廣亭は今、演者の飛沫が客席側に飛ばないよう、高座にアクリル板を立てています。上下左右の比率がちょうどテレビ画面のような大きさのアクリル板で、座布団に座って落語を演じると、その姿がすっぽり「画面」の中に納まります。このウィズコロナ下の末廣亭スタイルにもすっかり慣れたつもりでしたが、華奢で小顔の金原亭乃ゝ香さん(女性の二ツ目)の直後に、大柄な古今亭志ん陽師が現れたときには、あまりの大きさの違いに驚きました。元関取の三遊亭歌武蔵師がここでどう見えるのか、ちょっと気になっています。

さて、7月の寄席の新たな話題としては、上野鈴本演芸場の夜の部が久しぶりに再開したことを挙げるべきでしょう。7、8月の夏の間の期間限定の興行で、橘家文蔵師(7月1~10日)、柳家喬太郎師(11~20日)、桃月庵白酒師(21~30日)ら人気の師匠がネタ出しで主任をつとめます。詳しくは鈴本のHPを見てほしいのですが、珍しいネタもあり、なかなか魅力的な試みです。

一方、落語芸術協会の新真打披露興行もいよいよ終盤、池袋演芸場の昼夜の興行を残すばかりになりました(1~10日)。古典派、新作落語派が適度に入り混じり、漫才などの色物ゲストや円楽一門会からの出演もあり、ふだんの寄席とは違う賑わいを楽しむことができます。

そうそう、この興行で特記しておくべきは、6月の新宿末廣亭、浅草演芸ホールでの披露目の際に上方落語ゲスト枠があり、そこに笑福亭鶴光師の弟弟子である笑福亭鶴笑師が出演したことでしょう(新宿の6、7日目)。実際は6月15日新宿昼の部の桂文治師の芝居にゲストとして招かれていたのですが、自作の人形や小道具をめいっぱい使って演じる「立体西遊記」のインパクトの大きさに客席も楽屋も騒然。急きょ夜の部の披露目にも出演することになった、という流れのようです。

亡くなった桂米朝師が「落語の原点をやってくれている」と評した逸話も伝わる鶴笑師も、今やベテランの域に達し、近頃はNHK日本の話芸などにもたびたび登場して、大人から子どもまで楽しめる落語家としてファンを増やしています。まさに飛び道具のような高座は、大きな話題になってもいたので、再びこういう機会があるかもしれません。ちなみに、かつて米朝師が司会をしていた関西の演芸番組「和朗亭」に柳家三亀坊という方が出演し、その原点ともいえる珍芸・立体紙芝居を演じているのですが、その映像もきっとどこかに残っているはず。鶴笑師のパペット落語はそれを大幅にパワーアップしたものです。

なお、前回のコラムで触れた「寄席支援プロジェクト」は、6月末の締め切りまでに7135人が参加し、1億円を超える支援が集まったようです。東京の寄席のオーナー(席亭)や関係者は、自分たちの活動がこれほど愛されていたのかを知り、気持を新たにしているはず。折しも古今亭菊之丞師が運営するYouTubeチャンネルで新宿末廣亭席亭へのロングインタビューを行っており、真山吉光席亭が「一時はパンクしたら閉じようかという話もあったのだけど、一了見で辞めていい商売じゃない。支援プロジェクトを見て、自分たちの商売がこれほど大勢に愛されていることを知り、行けるところまでがんばってみようと思う。今年一年は何とかなりますよ」というようなことを語っているのを見て、いくらか安心しました(古今亭菊之丞でじたる独演会より)。

『死神』効果や、新たな人気者の登場で、ここ1年半苦しんだ寄席にも少しだけいい風が吹き始めています。気になるのはデルタ変異株の広がりと、東京オリンピックの影響。寄席の高座で芸人さんがオリンピックを話題にすると、いまの時点では客席からはどんよりとした反応が起こるだけ。夏から秋にかけて、これ以上感染を広げない対策を徹底してもらうことを、心から願っています。

それでも寄席は愛されているらしい | 中村伸の寄席通信

6月中席、落語芸術協会新真打披露の日の新宿末廣亭の賑わい。

中村伸の寄席通信 | 中村伸 なかむら・のびる

中村伸なかむら・のびる

1961年東京生まれ。出版社勤務からフリーランスに。編集者、伝記作家。著書に『寄席の底ぢから』(三賢社)。落語は好きで、DVDブック『立川談志全集 よみがえる若き日の名人芸』(NHK出版)や、『談四楼がやってきた!』(音楽出版社)の製作に携わる。ほかに水木しげる著『ゲゲゲの人生 わが道を行く』、ポスターハリスカンパニーの笹目浩之著『ポスターを貼って生きてきた』、金田一秀穂監修『日本のもと 日本語』などを構成・編集。