三賢社

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Buatsui Soup | コリン・ジョイスのブログ

非園芸家のガーデニング問題

2017.09.24

ぼくは庭を持っていながら、園芸家の精神構造は持ち合わせていない。

庭仕事を一切やらないということではなく、何か作業をしたら作業完了の状態が保たれてほしい――あるいはせめて、そこそこのあいだくらいそういう状態であってほしいと思う。

この夏は、庭でかなりの時間をすごした。クロスグリをすべて収穫し、セイヨウスグリを摘んだ。芝生のタンポポを何度も引っこ抜いた。芝を4回刈って、残らず袋に詰めた。芝生を"ほぐす"ためにレーキをかけた(これをやると芝の下の、土壌の栄養分をたくさん吸い取ってしまうコケをかき出せるらしい)。

庭の片隅にある盛り土の芝を刈るだけのために、ぼくはついに観念して刈り払い機(草刈り機)を買った。なんのための盛り土か知らないが、芝刈り機を寄せつけないのだ。苛立たしいことに、庭のなかでもそこの芝だけやたらに成長が速いせいで、たちまち庭全体がむさくるしい印象になってしまう。

雨の少ない時期(6月の大半と7月)には、天水桶にたまった屋根からの雨水を使って、毎日水やりをした。雨水が尽きると、皿洗いの残り水をやった。紅茶の出がらしやコーヒーかすも毎日庭にまいた(土が肥えるし、ごみも減るから)。

今年の"大事件"は、スモモの木が、過去3年間の総収穫量を超える実をつけたことだ。木が傷んでいるのではないかと思っていたのだが、今年は70粒ほどのまずまずの収穫だった。熟れたスモモにはハチが穴を穿ってひそんでいるので、用心しながら摘まなくてはならなかった。逆にリンゴの木は、不作の年だった――ありがたや(200個ものリンゴを処理するのはたいへんなのだ)。それでも毎日庭に出て、地面に落ちたリンゴが腐る前に拾い集めなくてはならなかった。落ちた実には、とんでもない数のナメクジやカタツムリが寄ってくる。

とにかくナメクジの数を抑えないと、繁殖して庭をだいなしにしてしまう。ぼくがナメクジの駆除剤をまかないのは、ハリネズミというすばらしい生きものがナメクジを餌にして、駆除剤の毒で死んでしまうからだ。一説によるといちばんのナメクジ対策は、小さな穴を掘って広口瓶を埋め、ビールを少し入れておくこと。ビールを目当てに入り込んだナメクジが(一杯機嫌で)溺死するわけだ。ある年に試してみたところ、ビールを進呈するいまいましさはさておくとして、大して効果がないことがわかった。始末できるのはせいぜいひと晩に3匹程度。だからぼくは、ナメクジとカタツムリ退治の"オーガニック"な方法を編み出した。夜間に懐中電灯と掃除道具の柄を手に庭に出て、叩きのめすのだ。

残忍な話に聞こえるかもしれないが、あっという間に昇天させられるし、誠実なやりかたとも言える。みずからの手を汚さずに駆除剤に殺らせようなんてことはしていないからだ。早朝に訪れた鳥がナメクジの死骸を貪り食えるという利点もある。今年の夏、ぼくはこの殺りくを10回ほど行なって、毎回10~30匹を退治した(ちなみに、ナメクジが共食いをすることをご存じだろうか?)。

というわけで、少なくともぼくの観点からすると、この数カ月はずいぶんと庭に奉仕した。なのに、庭は惨憺たるありさまだ。ロンドンに2週間出かけて帰ってみると、芝生は一度も刈っていないかのように伸び放題。8月は日照時間が長いし、雨も多かった。芝の成長には完璧な環境だが、ぼくにとっては完璧な迷惑だ。芝刈りができるよう乾くのを待ち続けているが、毎日少しずつ降る雨のせいで、芝はじめじめしっぱなし。雑草がはびこり、クローバーが容赦なく領土を広げつつある。

クロスグリの茂みは、どうしても剪定が必要だ。庭のいちばん狭い箇所で横へ伸びている。別の場所ではスイカズラの茂みも横へ広がって、ぼくがタチアオイを植えたところを覆っている。タチアオイはふつう上へ上へと垂直方向に伸びるはずだが、うちのは日光を求めて、スイカズラの下から鋭角に突き出ている。

リンゴの木は枝葉が茂りすぎていて、今年の収穫量が少なかったのはきっとそのせいもあるのだろう。芽吹きを促す日光が届かなかったのだ。スモモの木も枝を落とさなくてはならない。いちばん外側の枝が、まるで幹から独立を果たそうとしているかのように、上へ外へと猛烈に成長している。

腹立たしいほど回復力の強いお化け植物もいて、幾度となく抹殺を試みても息を吹き返し続けている。3年前、ぼくはその茂みを根っこから掘り出す作業で、危うく背骨を傷めそうになった。それがどういうわけか生き延びて、広範囲にわたって丈夫な茎を伸ばしている。その一画にルバーブを植えて育てていたのに、結局枯れてしまった。厄介者が土壌の栄養分を残らず吸い取ってしまったのだろう。

言っておくが、これはすべて小さな庭の話だ。ぼくが住んでいるような町なかでは、広々とした空間を持つ人はごくわずか。扱いやすい広さのはずなのだ。"田舎"の人たちの庭は、うちの3倍以上はある。

窓の外を眺めると、絶望的な気持ちになる。さんざん労力を費やしたのに、やるべきことが山ほど。それでも真の園芸家は、庭に費やす時間を堪能し、待ち受ける作業を楽しむべき課題と見なす。せっせと働き続けなくてはならず、しかもぜったいに"完了"しないなんて、ぼくはごめんだ。園芸家にとっては、完了しないことこそが喜びなのだが。

連載
コリン・ジョイス Colin Joyce
コリン・ジョイス
Colin Joyce

1970年、ロンドン東部のロムフォード生まれ。オックスフォード大学で古代史と近代史を専攻。92年来日し、高校の英語教師、『ニューズウィーク日本版』記者、英紙『デイリーテレグラフ』東京特派員を経て、フリージャーナリストに。07年に渡米し、10年帰国。著書に『「ニッポン社会」入門』、『「アメリカ社会」入門』、『「イギリス社会」入門』、『驚きの英国史』など。最新刊は、『新「ニッポン社会」入門〜英国人、日本で再び発見する』(小社刊)。