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Buatsui Soup | コリン・ジョイスのブログ

「ヴェンゲル・アウト」に異議あり

2017.02.24

アーセナルがチャンピオンズリーグでバイエルン・ミュンヘンに5-1というばつの悪い負けを喫してから、アーセン・ヴェンゲル監督の21年に及ぶ治世の幕引きを求める空気が強まっている。プレミアリーグでチェルシーに3-1で負けたことで、今シーズンの優勝の望みが事実上絶たれたあとにもそういう声はあった。しかし今では、不満をためこんだファンという"少数派"の声にとどまらなくなっている。

だが、これはぼくに言わせれば自明とはとても言い難い話であり、ヴェンゲルが留任すべき理由には、改めて考えるだけの価値がある。

まず、アーセナルの戦績は総体的に見ればけっして悪くない。プレミアリーグの上位に位置し、チャンピオンズリーグの決勝トーナメントにも進出した。どちらも容易なことではないのに、アーセナルは毎年のようにやってのけている。もちろん、両方とも優勝できていないのは歯がゆいし、アーセナルのファンはみんなもっと多くを望んでいるが、惨憺たる状況とは程遠い。どこのクラブだってたまには情けない負け方をするもので、ファンならそういう試合を見せられるときもある。ぼくなら、翌日の宿敵スパーズみたいにヨーロッパカップでゲントに負けるよりも、チャンピオンズリーグでバイエルンに負けるほうがまだましだ。何もぼくがスパーズが嫌いだからあげつらっているわけではなく、歴史的に見てアーセナルとは複数の意味で似たようなレベルにあるクラブだから、比較の対象として便利なのだ。

第2に、ヴェンゲルはただの監督ではない。アーセナルは熱心なファンに支えられた、そこそこの戦績をおさめるノースロンドンのクラブだったが、それを世界有数のクラブに育てあげた立役者こそヴェンゲルだ。エミレーツスタジアムは、ヴェンゲルの大望と功績をありありと示す記念碑だ。ノースロンドンの中心にそびえ立つ、収容人員が大幅に増えた最新のスタジアム。だが、ヴェンゲルが着任からずっとアーセナルに財政面の成功をもたらしてきたことも、心に留めておきたい。スタジアムの建設費用で緊縮財政を余儀なくされ、大富豪のスポンサーの金でチェルシーやマンチェスターシティが強豪にのし上がって、サッカー界が激変するなかでそんなことをやってのけたのだ。フットボールのファンは概してクラブの経営状態に頓着しないが、ひいきのクラブの経営が思わしくない場合、とあるチームのファンなら大問題だと言い切るだろう。そういうチームとして(もともとはアーセナルとほぼ同格でありながら、今では2部リーグで低迷している)アストン・ヴィラに加えて、ブラックプール、ポーツマス、チャールトンも頭に浮かぶ。

第3に、ぼくはヴェンゲルが世の印象ほど頑固だとは思わない。ヴェンゲルは、自分の行動で成果があがらないときでも変更を拒むと非難されがちだ。乏しい予算でチームを組もうとして、一流選手に育つことを願うばかりの若くて未知数のプレーヤーとしか契約しないと、長年言われていた。(実際に、成功に近い手法ではあった。だいじなプレーヤーが実力のピークに達した矢先に、はるかに高額の報酬を提示するチームに引き抜かれることが続いたという点を除いては)それでも近年は、エジルやサンチェスという巨額の移籍金のからむ獲得劇もあって、ヴェンゲルだって札びらを切るのをいとわないことが立証されている。

第4に、ヴェンゲルの過ちはある程度は立派とも言える。ぼくはヴェンゲルのあら探しをしろと言われたら、こう言うだろう。期待に背くプレーヤーへの信義を守り、長すぎる猶予期間を与え、ライバルのクラブに堂々と移籍するという背信行為(そうロビン、おまえのことだ)さえ許してしまうことだ、と。別の過ちを挙げるなら、ほんもののフットボールを創ることにこだわり、"なりふりかまわぬ勝利"が必要なときにも、延々と魅せる試合をしようとすることだ。(ぼくはときどき、ジョージ・グレアム監督の時代が恋しくなる)だが、たとえこういう過ちがあるにしても、愛すべき過ちと言える。ジョゼ・モウリーニョやサム・アラダイスの過ちなんて、どこから手をつければいいかわからないほどあるじゃないか。

最後に大きな疑問として挙げたいのが、ヴェンゲルの後任に据えたいほど優れた監督がいるのかということだ。サー・アレックス・ファーガソンなきマンチェスター・ユナイテッドに何が起きたかは、ご存じのとおり。スパーズの現監督は優秀だと思うが、今の監督を見つけるまでずいぶん長くかかっている。確かヴェンゲルの在任中に(暫定的な監督は除いて)12人交代しているはずだが、誰ひとり、1シーズンだって、ヴェンゲルのアーセナルほどの成功に導きはしなかった……そして大半の監督が古参のプレーヤーの追い出しと、スパーズを強化するはずの新たなプレーヤーを買う予算を求めた。だから監督の交代は、経費のかさむ危険なビジネスなのだ。クラブは欲しいプレーヤーに莫大な金を払い、出て行ってほしいプレーヤーを冷遇するのだから。

もちろん、アーセナルのファンが大喜びで後任に推す人材がひとりだけいる。着任から最初の10年のアーセン・ヴェンゲル、"ダブル"を2回達成し、1シーズン無敗という偉業を、観客を沸かせる華のあるプレーヤーたちとともに成し遂げた。ある世代のファンはつねに期待をつのらせながら育ってきているし、古株のファンでさえ、例えば1995年のリーグ12位という結果も忘れがちだ。ある意味では、ヴェンゲルの問題とは過去の自分の成功なのだ。

連載
コリン・ジョイス Colin Joyce
コリン・ジョイス
Colin Joyce

1970年、ロンドン東部のロムフォード生まれ。オックスフォード大学で古代史と近代史を専攻。92年来日し、『ニューズウィーク日本版』記者、英紙『デイリーテレグラフ』東京特派員を経て、フリージャーナリストに。著書に『「ニッポン社会」入門』、『新「ニッポン社会」入門』、『驚きの英国史』、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの<すきま>』など。最新刊は『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(小社刊)