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Buatsui Soup | コリン・ジョイスのブログ

レジェンドの訃報

2018.03.08

サー・ロジャー・バニスターが88歳で死去という悲しいニュースが、きょう入ってきた。イギリス国外での知名度は高くないのだろうが、国内では――とりわけオックスフォードでは――伝説の人物だ。

1954年、バニスターは1マイル競走で初の4分切りを果たした。当時は"4分の壁"の突破など到底むりという見かたが支配的だった。バニスターと仲間たちはただひたすら、達成可能な目標と見ていた。

バニスターがオックスフォードのイフリー・ロードのトラックで4分切りを達成すると、大ニュースになった。ぼくの父の世代の人たちは、人類の月面歩行にも等しいできごとと表現する。

1マイル競走はイギリスやイギリス連邦、アメリカでは今も人気の競技種目だ。だがオリンピックでは、代わりに1500メートル競走が行なわれる(1マイル競走よりも約110m短い)。

ぼくからするとバニスターの傑物ぶりは、この偉業を成し遂げた当時、フルタイムのアスリートではなく、多忙な医学生だったことにあらわれている。オックスフォード大学時代は"陸上奨学生"(大学側が学費を持った)、熱心な研究者でもあった。のちに著名な神経科医になり、さらにはオックスフォード大学ペンブローク・カレッジの学寮長を務めた。

ぼくがオックスフォード生だったころ、ペンブローク・カレッジに友人がいて、その友人にバニスターを見たことがあるかと尋ねた記憶がある。要するにぼくにとってバニスターは、ご尊顔を拝するだけでも光栄という存在だった。ちなみに友人は見たことがあったけれど、ぼくは一度も会えなかった。

有名な話だが、バニスターが4分の壁を突破した日、その場の誰も実際のタイムを耳にできなかった。場内アナウンスの「タイムは3分……」から先は、大歓声にかき消されてしまった。

以前の世界記録の4分1秒4は9年間破られず、そのあいだに4分の壁という神話ができあがった。だがバニスターの3分59秒4という世界記録は、オーストラリアのジョン・ランディが1.4秒速く走るまでの46日間しか持たなかった。現在の世界記録は3分43秒14で、モロッコのヒシャム・エルゲルージが1999年から保持している。

だから考えようによっては、バニスターが成したのは、特定の境界を最初に越えたことにすぎないとも言えた。だがバニスターは、ごく限られたトレーニングで、石炭殻を敷いたトラックで、午前中に自分で研いだ古いスパイクシューズで成し遂げたのだ。加えて、時代に先駆けてレースでペースメーカーを使った例でもあった。友人のクリス・チャタウェイとクリス・ブラッシャーだ。バニスターはスポーツ面にも知性を発揮して目的を果たした。

だが、バニスターがイギリスで称賛されたほんとうの理由は、理想の英国人を体現したような人物だったからだ。謙虚でまじめで、気さくだった。不可能を可能にしたなどとけっして吹聴することなく、つねに仲間の手助けのおかげと考えていた(チャタウェイとブラッシャーは"一緒に走った"だけの存在ではなかった)。いちばん誇らしい業績は学術研究であり、4分切りではないと言っていた。

老いてからパーキンソン病を宣告されると、そのことをいさぎよく受け入れて、お迎えが来たわけじゃなくてよかったと冗談の種にした。かつてパーキンソン病の研究に力を注ぎ、患者の治療をした経験があったからだ。住まいはイフリー・ロードのトラックからほど近い、慎ましい家だった。そのトラックは、2007年に"ロジャー・バニスター陸上競技場"と名称を改められた。

連載
コリン・ジョイス Colin Joyce
コリン・ジョイス
Colin Joyce

1970年、ロンドン東部のロムフォード生まれ。オックスフォード大学で古代史と近代史を専攻。92年来日し、『ニューズウィーク日本版』記者、英紙『デイリーテレグラフ』東京特派員を経て、フリージャーナリストに。著書に『「ニッポン社会」入門』、『新「ニッポン社会」入門』、『驚きの英国史』、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの<すきま>』など。最新刊は『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(小社刊)